「Less is More」はミース・ファン・デル・ローエによる提唱としてよく知られていますが、鈴木は敬愛するバックミンスター・フラーの「More with Less」が宇宙の本質と話していました。
1963年にフラーは「宇宙船地球号操縦マニュアル」という地球を閉じた宇宙船にたとえ、「地球資源が有限である」という概念を唱えました。
鈴木エドワードはバックミンスター・フラーの思想に大きな影響を受け、彼の思想や哲学・建築を広める活動を続けていました。
実は、大学院にハーバードを選んだのは、バックミンスター・フラーのオフィスに近かったからと話していました。ここで、ハーバード時代にアルバイト、イサム・ノグチのアシスタントとして、彼の構想を具体化する仕事をしていました。
バックミンスター・フラー&イサム・ノグチ事務所、二人のパートナーであり、当時のEdwardのボスだった建築家ショージ・サダオさん(モントリオール万博でのアメリカ館設計/札幌のモエレ公園設計)とは、生涯のよき友として長きに友情をはぐくみました。Edwardが亡くなった後しばらくして、ここ日本でその生涯を終えました。